危機にどう対処してきたのか ◆第5回 レジュメ
江戸の医療改革と生活保護  明神塾 レジュメ5
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「江戸のリーダーと危機管理」
第5回江戸の医療改革と生活保護
〜小石川養生所と江戸の 赤ひげ 先生〜
 2012年10月17日  安 藤優一郎
  ◆はじめに
XXXXX 貧しさのため医者に通えず薬も飲めない江戸っ子のため、幕府は無料の医療施設小石川養生所を創設します。 伝染病が流行した時は、食料を支給して生活を補助しました。幕府による医療改革と江戸っ子の生活再建策を明らかにします。
1.町奉行大岡忠相と小石川養生所
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(1)幕府を動かした目安箱への投書
町医者小川笙船、病人見殺しの現状を目安箱に投書/単身者の多さと病気時の看護/医療・薬草政策への吉宗の強い関心/駒場・小石川御薬園で薬草栽培、生薬製造、薬効研究
(2)養生所開所へ
施薬院計画案/養生所への改称/幕府エリート医師たちの任命/小石川御薬園内に養生所開設の町触
(3)拡大する施療事業
人体実験の風評/養生所見学会/入所手続きの簡略化/本道のほか外科、眼科の増設(眼科は3日に1度の勤務)/入所定員数の増加(40→100人→150人→117人)/男性部屋4棟・女性部屋1棟/短くなる入所期間(20ケ月→12ケ月→8ケ月)
2.養生所の入所生活
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(1)養生所のスタッフ
養生所医師・見習医師は幕府の役職としての位置付け/小川笙船子孫が肝煎を世襲/養生所を支えた看病看病中間・賄中間たち/養生所見廻り与力・同心の任命
(2)入所生活
入所時に小遣いの額(200文まで)から物の貸し借り禁止まで申渡し/月に髪結2回、入浴3回、外出6回/食事は米のほか、芋や大根の葉が入った汁と香の物/希望者は粥、重病者は葛湯/鰹節支給/17・18日は小豆粥の日/28日に干肴2枚支給/1日に3度素湯支給/飲食物を出入商人から購入/高燥の地で湿気が少ない立地環境/全快率は50%
3.寛政の医療改革と社会保障の充実
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(1)医学館の設置
神田佐久間町(後に向柳原に移転)に江戸の大学病院・医学館創設/奥医師多紀氏が館主/講堂と診療所が一体化した造り/館内には寄宿舎や薬草園/松平定信、医学館で御番医・奥医師の選抜試験、医書の検閲を許す
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定信、医療行政への強い関心/養生所への徒目付の派遣/治療に使用する薬は無料/臨床教育の場
(2)町会所の疾病救済
江戸町会所設置の背景(医学館の近く)/貧困・病気・災害による生活困難者への米や銭の支給が本務/風邪・コレラの流行時には約30万人に数日間で米・銭を臨時に支給(銭250文、米5升)/巨大で迅速な生活保護
4.劣悪な療養環境
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(1)不充分な医療行為
入所希望者の激減/養生所の悪評が老中の耳に/投薬忌避と薬種料の少なさ/割に合わない診療報酬
(2)看病中間・賄中間の不正行為
看病中間、同室の者への心付け/古株の入所者(中間の補佐的立場)による飲食物の押し売り/残飯の転売で利益を得る/物品の横領/博打の開帳から高利貸しまで
(3)与力・同心の職務怠慢
遅刻・早退の多さ(勤務時間は10時から4時)と勤務地の遠さ/お粗末な巡回/中間の横領行為も見て見ぬふり/養生所の蔑視
5.養生所改革の挫折
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(1)繰り返される取締令
医師の交代と給金の増額/中間には横領行為の厳禁/与力・同心には厳格な見廻りを厳命/進まない改善/町医師への総入れ替え/使用に応じた薬種料の支給/抜本的な改善ができないまま終焉
(2)病院の濫觴
西洋の病院をモデルにした病院創設の意見書/長崎・佐倉・卯辰山養生所の設立と施療の必要性/養生所の遺産
 おわりに
 養生所の歴史的役割
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