「江戸の食文化と江戸文芸」・第2回 ◆第二回レジュメ
明神塾 レジュメ2
「江戸食文化と江戸文芸」・第2回
      江戸の医食同源
     〜栄養と養生〜
   2015年6月17日 安藤優一郎
講座の趣旨 
 日本文化の源流は江戸時代にさかのぼると言っても過言ではないでしよう。今期は食と文芸をテーマとしたミニ講座に加えて、タイトルにちなんだゲストとの対談を通じ、皆さんを魅力あふれる江戸文化の世界にいざないます。
はじめに 
 江戸時代は、健康への関心の高さから医薬品の需要が高まった時代でした。知られざる江戸の健康産業の展開を解説します。
1.江戸の本草学
(1)医食同源思想の萌芽 中国で漢の時代に本草書誕生/国家が医薬事業に力を入れる/律令国家でも典薬寮設置/中国医書を参考に天元5年(982)『医心方』作成/留学僧を通じ医学情報伝播/医書医薬品が流入/東アジア世界は身土不二(身体と自然は一体)の思想/医食同源・薬食帰一
(2)本草学の台頭 中国由来の本草学は、薬草をはじめ薬物としての用をなす動植鉱物の知識に関する学問/薬効の視点から分類→博物学へ/慶長12年(1607)に李時珍の『本草綱目』が日本へ/自然物を16部、各部を60類に分類/元禄10年(1697)に人見必大の『本朝食鑑』刊行〜日本独自の食物も加えられる/食物本草の研究が進展→医食同源/宝永6年(1709)に貝原益軒の『大和本草』刊行。1366種の自然物を解説〜日本固有の358種含む
(3)物産調査と薬品会 元文3年(1738)に加賀藩支援のもと稲生若水の『諸物類纂』完成/幕府諸藩による物産調査事業が活発化〜殖産興業政策の基礎資料/物産調査・収集・栽培のため本草家を活用/享和3年(1803)より医学館教授小野蘭山の『本草綱目啓蒙』48巻刊行開始〜本草学の集大成/本草研究の進展を受け情報交換を目指す展示会(本草会・薬品会・物産会)が各地で開催/宝暦7年(1757)に平賀源内が湯島で最初の薬品会/本草学は博物学に発展
(4)救荒本草の登場 江戸の飢饉〜凶作・災害により頻発/飢饉時の食用植物(救荒食物)の栽培法を民間に提示/享保飢饉時の疫病流行を受け、幕医望月三英・丹羽正伯が食物の毒にあたった時の対処療法を各村に周知/享保20年(1735)に青木昆陽が『蕃藷考』著す/天明の飢饉後、救荒書が本格的に出版頒布〜栽培・調理法を本草書や農書の知識を駆使して解説
2.江戸の薬
(1)幕府の薬草政策 天文・気象・地理など実学を重んじた将軍吉宗/医学・薬学書を座右に。自ら製薬/本草学者を登用し、薬草見分のため全国に派遣/諸藩の薬草調査も活発化/人参の国産化政策〜朝鮮人参が市場独占/幕医田村藍水が薬用人参の栽培と製薬化の中心に
(2)薬園の整備 享保5年(1720)に駒場薬園開設/翌6年(1721)に小石川薬園が大拡張(4800坪→44800坪)/7年(1722)に下総小金野に30万坪の薬園開設/全国各地に薬園開設〜人参などを大々的に栽培し、諸藩に種を与える/小石川薬園で甘蔗を試作/養生所設置
(3)江戸の薬種屋 江戸十組問屋に薬種店組/本町薬種問屋仲間結成/享保7年に薬品の品質・価格管理、流通量調査を目的とする和薬改会所設置/問屋を介した薬種統制/山東京伝の「読書丸」/曲亭馬琴の製薬販売/式亭三馬の「延寿丹」/化粧水「江戸の水」販売
3.養生の流行
(1)養生本の流行 養生の意味/中世日本では薬による養生という発想が強い/江戸時代に食と身体の関係を精神面からコントロールして健康の維持をはかる養生論が登場/正徳3年(1713)に貝原益軒の『養生訓』刊行/食べ過ぎ・飲み過ぎを戒める〜自然治癒力への期待/家庭医学書・健康解説書にあたる養生書が多数出版〜貸本屋を通じて流布
(2)江戸の流行病と養生所 風邪・麻疹・疱瘡・脚気・コレラ流行/享保15年(1730)に幕医林良適たちにまとめさせた『普及類方』刊行/町人・農民問わず困窮民に向けて山野で得やすい薬方を提示/疾病の際の対処療法も提示/流行病時に下層民へ御救米・銭の支給
(3)養生所の設置(図D) 享保7年に小石川薬園内に養生所設置/施療・入所対象は貧困で薬が服用できない者、独身のため病気になっても看病人がいない/定員117名
4.西洋医学と栄養
(1)漢方医と蘭方医 漢方医の牙城医学館と奥医師多紀氏/蘭学の台頭とシーボルトの鳴滝塾/種痘所の設置/蘭方医の奥医師登用/西洋医学所の設置
(2)健康の誕生 富国強兵と文明開化/福沢諭吉たちによる西洋文明の啓蒙/米食から肉食へ/牛乳の普及/健康と栄養/衛生制度の確立と軍隊/厚生省の誕生

お問合せプライバシーポリシー神田明神HP
>>前画面に戻る場合は「戻る」ボタン