「江戸の食文化と江戸文芸」・第2回 ◆第二回レジュメ

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明神塾 レジュメ2
「江戸食文化と江戸文芸」・第2回
      江戸の果物
     〜水菓子と野菜〜
   2014年6月18日 安藤優一郎
講座の趣旨 
 日本文化の源流は江戸時代にさかのぼると言っても過言ではないでしよう。今期は食と文芸をテーマとしたミニ講座に加えて、タイトルにちなんだゲストとの対談を通じ、皆さんを魅力あふれる江戸文化の世界にいざないます。
はじめに 
 江戸時代は米が主食でしたが、次第に果物や野菜も食卓を飾るようになりました。水菓子と呼ばれた蜜柑や梨などの果物や野菜の生産・流通状況を概観します。
1.江戸の果物
(1)古代・中世の果物  菓子と呼ばれた果物/宮中や貴族社会での贈答用、高級品/日本原産の果物は梨・栗・柿/室町時代に葡萄・スイカの栽培はじまる (2)江戸時代の果物  柿、梨、桃、梅、苺の順で栽培が盛ん/江戸の町の需要を受けて早めに出荷の傾向/貞享3年(1686)に出荷制限の法令発令〜価格の高騰
2.蜜柑
(1)蜜柑の流通  蜜柑の産地〜紀州・摂津・三河・遠江/肥後八代から紀州に蜜柑を移植/紀州藩主徳川頼宣による増産奨励/上流階級の果物から大衆の果物へ/日本橋四日市町での蜜柑市を通じて水菓子を扱う商人の手に渡る (2)紀州蜜柑と紀州藩  藩専売制と特産物/紀州藩蜜柑方による流通機構の掌握/江戸の蜜柑商人との対立/明治に入ると温州蜜柑の栽培により紀州蜜柑のシェアは下がる
3.葡萄  
(1)江戸の葡萄需要  室町時代より栽培はじまる/江戸時代には甲州が最大産地/江戸での需要を期待 (2)甲州葡萄の流通  勝沼宿の荷問屋から神田の青物市場へ/甲州葡萄は幕府への献上用として江戸に送られ、余剰分が水菓子問屋の取り扱いに/明治に入り、葡萄酒製造所設立/多摩川梨の発展
4.果物の販売
(1)江戸の水菓子屋 果物も魚も青物も幕府への献上物の余りを取り扱うのが問屋の原則/幕府への納人を兼ねる/日本橋・京橋・神田・四谷などで果物が売られる (2)江戸での栽培 武家・町屋敷内の活用と栽培・養殖ビジネス/曲亭馬琴は神田明神下同朋町の屋敷の庭で薬草・薬木・果物を栽培/調合した薬や梅・柿・桃・梨・葡萄を売って現金収入を得る
5.江戸野菜の展開
(1)東京会議所の設立  明治維新後も積金と囲い米の運用/町会所廃止、営繕会議所の設立/積金を道路・橋梁・水道の修理費にも充てる/東京会議所に改称 (2)渋沢栄一が管理・運営の責任者に  東京の実業家が積金と囲い米運用を任せられる/渋沢、東京会議所の会頭に/積金を元に都市整備、瓦斯事業、商法講習所の経営、東京市養育院運営に携わる/東京会議所廃止、その業務は東京市に吸収/東京の文明開化に積金(共有金)が果たした役割
6.江戸の農園
(1)江戸ブランドの野菜 練馬・亀戸大根/早稲田みょうが/滝野川牛蒡・人参/千住ねぎ・茄子/早稲田みょうが/滝野川牛蒡・人参/目黒の筍/将軍献上の小松菜 (2)武家屋敷内の菜園 江戸城内の菜園/大名屋敷内の菜園と出入りの農民/武家屋敷への沢庵・茄子の納入

    

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