「江戸の美と匠の世界」 ◆巻之十九 第一回レジュメ
 
    江戸の美と匠の世界
 明神塾 レジュメ 1
江戸の料理文化
   〜外交儀礼と饗応の宴〜
◆年間テーマの趣旨 
 クール・ジャパンの名のもと、江戸の美は世界的に注目されていますが、それは連綿と受け継がれた匠の技術により支えられていました。今期は美と技をテーマとしたミニ講座に加え、タイトルにちなんだゲストとの対談を通じ、江戸の美と匠の世界にいざないます。

 ◇◆◇はじめに◇◆◇
 鎖国の印象が強い江戸時代ですが、オランダや朝鮮の外交使節は定期的に日本を訪れていました。幕末に入るとアメリカ、イギリス、フランス、ロシアの使節が加ります。初回は外交使節を接待する際の料理を通じ、外国人の目に触れた江戸の料理文化を考察します。
1.饗応の宴
(1)公家社会の饗応 料理とは中国の文献に登場する用語。「食物を料り理めるJの意味を持つ/大化の改新後、官内省の下に大膳職(朝廷の人々の食膳を担当)。大炊寮(天皇や役人用の米穀を調達)・内膳司(天皇の食膳を預かる)設置/料理を通じて経済力を誇示〜大饗(盛大な饗宴)/儀式の料理では魚。鳥、果物、飯、塩。酢・醤(好みに応じて味付け)が並べられる/簡便な調理法〜切り方が料理人の腕の見せ所。包丁さばき/公家の料理流派。四条流〜料理道を確立/料理の仕方、道具の取り扱い方、盛り付け方などの決まりごと
(2)武家社会の饗応
公家の料理を継承。発展する形で、武家社会は本膳料理を生み出す/室町時代、本膳料理は武家の礼法とともに確立、江戸時代に大成/一の本膳、二の本膳、三の本膳から成る〜四・五ッ目も/正式の饗応の膳で酒肴を出して三杯飲ませて膳を下げることを一献、これを三回繰り返すことを式三献/元和3年(1617)に将軍徳り1秀忠が前田利常邸に御成した時の事例〜初献は焼き鳥・雑煮、二献は真羽煮、三献は干鱈。まきスルメ。式三献の後、七五三の膳(一の本膳に七品、二の本膳に五品、三の本膳に三品の料理)/武家の本膳料理を担当する料理流派〜大草流・進士流/大名家の料理人を対象とした料理書が刊行
2.外交使節の接待。オランダ編
(1)江戸幕府の外交通商と長崎
鎖国という名の外交・通商関係の限定/長崎出島にオランダ商館設置〜商館長は外交官兼務/幕府(長崎奉行)による貿易管理/日本の輸出品は金銀銅/輸入品|は中国産の生糸・絹織物/毎年、幕府にはオランダ風説書を提出/毎年、商館長は江戸へ参府/将軍に謁見
(2)オランダ商館長と江戸城での饗応
将軍からの饗応膳〜生鮭に醤油のような甘いソースをかけたもの。甘菓子や餅・煎餅/寺社・町奉行の招宴〜焼き魚・卵焼き。梅酒・菓子/江戸詰長崎奉行の招宴〜煮魚・揚物・魚の天ぶら/朝鮮。琉球使節に比較すると簡略〜毎年の饗応/オランダ人の参府旅行記
(3)オランダ正月と蘭学者たち
長崎近郊で飼育された豚・牛が出島のオランダ商館で食される/江戸でも蘭学者大槻玄沢によリオランダ正月(太陽暦の元旦)の祝宴が催される〜西洋料理を食する/江戸参府時の宿所長崎屋で商館長―行が蘭学者に西洋料理を振舞う
3.外交使節の接待・朝鮮編
(1)朝鮮通信使と対馬藩
対馬藩主宗氏が朝鮮外交の実務に当たる/対馬藩が朝鮮貿易を独占/日本は銀を輸出/ 朝鮮人参や中国産の生糸・絹織物を輸入/将軍代替り時、朝鮮から国書と贈り物を携えた通信使が来日/400〜 500人という規模/送迎・接待に莫大な費用(100万両?)〜 国家の威厳を示すのが目的/財政難により経費削減〜料理内容の簡略化
(2)江戸城での通信使の饗応(図1)
道中の食事は朝鮮側の好み(塩魚と川魚は好まず、料理は温いものを好む、水菓子を好む)に合わせる〜猪肉の調達/江戸では正副通信使などに七五三の本膳(塩引き・蛸・くらげ)、三汁五菜(鮨など)の二の膳、二汁三菜(さざえなど)の三の膳、貝類を並べた四ツ目、菓子を中心とした五ツ目で饗応/正式な国交の場での料理は日本料理(肉類は用いず)。尾張徳川家などが饗応にあたる〜将軍が朝鮮の使者と共食するのは威厳を損なう
(3)琉球使節の饗応
薩摩藩の支配下にあった琉球王国/将軍の代替りを祝う慶賀使と琉球国王の襲封を感謝する謝恩使が江戸に参府/中国風の衣装〜異国の服属儀礼としての面が強pP・lされる/正副使節に一汁三菜(鯛などの檜、車海老などの煮物)の本膳、一汁三菜(アンコウ、味噌漬切焼鯛など)の二の膳、一汁二菜(刺身、煎鳥)の三の膳、小鯛の一ツ焼の四ツ目、雉焼、蒲鉾の盛り合わせの五ツ目/将軍吉宗の時より菓子・酒。吸い物のみ〜倹約令
4.外交使節の接待・幕末編
(1)ペリー来航と横浜での饗応(図2・3)
嘉永6年(1853)ペリー来航/翌7年(1854)再来航と横浜での応接/日米和親条約締 結前、刺身などの九品に続き二汁五菜の本膳料理(他・赤貝などの檜に豆腐などの煮物)/高級料亭百川が担当〜500人分用意。2000両で請け負う(八百善も担当説〜費用は千両)/ペリーは旗艦ボー‐ハンタン号で幕府役人に刈する招宴を開く
(2)ロシア使節への饗応
ロシアの通商要求の歴史/嘉永6年にブチャーチンが長崎来航/ロシア使節―行に対す る三汁七菜の饗応〜鯛・鮒などの膾に鴨・鯛などの煮物を並べた一〜三の本膳料理、下士官には蒲鉾などの煮染に扇形の赤飯〜オランダ商館からスプーンとフォークを取り寄せる
(3)初代駐日公使ハリスと江戸での饗応
初代駐日公使ハリス、安政4年(1857)に江戸城で将軍徳川家定と会見/一〜五つ目ま での本膳料理〜三汁九菜(鯛などの膾、鴨などの煮物)/下田奉行からも料理の振舞い〜刺身、煮魚、海老料理/慶応3年(1867)、最後の将軍徳川慶喜が大坂城で各国公使と陪食〜鶏のスープ、魚料理・牛肉料理をフランス人に料理させる。シャンパンなどの酒類、リキュール、コーヒーも用意される/西洋料理による饗応〜慶喜の西洋好き
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